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浜北で買い物をするとき、多くの人が訪れるプレ葉ウォーク浜北。
たくさんのショップが並び、家族連れや地域の人たちが行き交う、浜北を代表するショッピングモールです。
でも、この場所にかつて何があったのか、ご存じでしょうか?
実はここには、かつて日清紡績浜松工場がありました。
1926年に操業を開始し、2004年に閉鎖されるまで、約78年間にわたってこの地域で操業していた大規模な紡績工場です。
現在、工場の建物は残っていません。
それでも、当時の記憶を今に伝えているものがあります。
かつての日清紡績浜松工場

現在のプレ葉ウォーク浜北を見ると、ここに大きな紡績工場があったとはなかなか想像できません。
現地の案内板には、「現在、PLE葉ウォーク浜北が立地している場所は、日清紡績浜松工場の跡地です。」と紹介されています。
日清紡績浜松工場は1926年に操業を開始。
浜松市中央図書館の資料でも、大正15年(1926年)に日清紡績浜松工場が貴布祢(旧北浜村)に設立され、遠州地域の織物産業に必要な綿糸を供給する大規模な紡績工場として発展していったことが確認できます。
当時の浜松・浜北にとって、繊維産業は地域経済を支える重要な産業でした。
つまり、この場所は浜松の繊維産業を支えた場所のひとつだったのです。
浜松はものづくりの街。そのルーツのひとつが繊維
浜松というと、
●楽器
●自動車・オートバイ
●工作機械
●輸送機器
などを思い浮かべる人が多いかもしれません。
でも、浜松のものづくりを語るうえで忘れてはいけないのが、繊維産業です。
遠州地方では古くから綿織物が盛んで、織物の生産量が増えるにつれて、原料となる綿糸への需要も高まっていきました。
そのため浜松周辺には、東洋紡績などの大手紡績工場が進出。
そして1926年には、現在のプレ葉ウォーク浜北の場所に日清紡績浜松工場が操業を開始しました。
日清紡の進出は、工場だけに影響を与えたわけではありません。
周辺には従業員の住宅が増え、商店も集まり、人が集まることで新しい街が形成されていきました。
近年の研究でも、日清紡の工場建設前は針葉樹林や桑畑が多かったものが、建設後は住宅や商業地が増え、工業化が進んだことが指摘されています。
工場が街をつくっていった。
そんな時代だったのかもしれません。
レンガの壁に残る、もうひとつの物語

そして、今回ぜひ見ていただきたいのが、このレンガです。
一見すると、古いレンガの壁。
ところどころ赤茶色のレンガが顔を出しています。
当時は、遠州鉄道から日清紡績浜松工場内へ専用の引き込み線が伸びていました。
現地の案内板にも、「専用線が工場内まで引き込まれていた倉庫の一部を再利用したもの」と記されています。
実際、1926年には貴布祢駅(現・浜北駅付近)から日清紡績浜松工場までの専用線が開通し、1973年の貨物営業廃止に伴って廃止されたとされています。
現在は駅からショッピングモールへ向かうの一部の道が、かつては鉄道が走り、工場へ物資が運ばれていた場所なのです。
白いレンガには、働く人への工夫があった

このレンガを見て、もうひとつ気になることがあります。
なぜ、レンガなのに白く塗られているのか?
その答えも、現地の案内板に書かれています。
1937年、第三工場を増築する際、従業員の能率向上を目指す色彩の研究が行われたそうです。
そして研究の結果、工場の外壁は白色と決まりました。
そのため、レンガの外壁面も白色に塗装されていたのです。
これは、個人的にとても興味深いところでした。
今でこそ、
「働きやすい職場環境」
「職場の快適性」
「作業効率」
「働く人の安全や健康」
ということが当たり前のように語られています。
でも、1937年という時代に、すでに工場で働く人の能率を考えて、建物の色まで研究していた。
当時の工場は、ただ機械を置いて製品をつくる場所ではなかったのかもしれません。
「人が働く場所をどうつくるか」ということまで考えられていた。
そう考えると、この白いレンガが少し違って見えてきます。
玉川産業も「働く服」に携わっている
日清紡績浜松工場は、1926年の操業開始から2004年の閉鎖まで、約78年間この場所で操業しました。
現地の案内板には、最盛期には従業員約7,000人、織機・紡機などを備えた、日本有数の紡績工場だったことが紹介されています。
2004年に工場が閉鎖された後、跡地は現在のショッピングモールへと姿を変えていきました。
2003年にはアピタ浜北店が開業し、2008年に増築・再編されて「プレ葉ウォーク浜北」としてオープンしています。
1926年の操業開始からちょうど100年。工場からショッピングモールへと変化しましたが、「人が集まる」という役割は、今も変わっていません。
昔は働くために人が集まり、今は買い物や食事を楽しむために人が集まる。
そんな見方をすると、街の歴史が少し面白く感じられます。
日清紡績浜松工場と玉川産業に、直接のつながりがあるわけではありません。
それでも、私たちが暮らす浜松には、「繊維」という産業の長い歴史があります。
時代が変わり、産業の形が変わっても、「働く人のためのものを考える」という部分では、どこかつながっているように感じます。
現在のユニフォーム選びでは、デザイン、色、働きやすさ、女性の着やすさ、統一感など様々な視点が必要になっています。
これは、1937年に日清紡績浜松工場が「色彩と従業員の能率」を考えていたこととも、少し通じるところがあるのではないでしょうか。
ユニフォームも、働く環境の一部。
服そのものを選ぶだけではなく、「その会社で働く人にとって、どんな環境が働きやすいのか」を一緒に考えていく。
それが、これからのユニフォーム提案に必要なことだと考えています。
今度プレ葉ウォーク浜北へ行く機会があったら、白く塗られたレンガを探してみてください。
そして、会社のユニフォームリニューアルの話題が出た際には「玉川産業という会社があったな」と、選択肢の一つとして思い出していただければ幸いです。
ご相談・お見積りは無料です。
ところで、玉川産業では刺しゅうの「糸の色」人気ランキングを調べたことがあります。
果たして人気第1位の色は!?












